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管理人のたわごと時々社員Official Blog


2021/03/16

悪夢だった仕事の日々


悪夢だった仕事の日々

大学卒業後(1982年)、ある企業に入社しました。入社当時は中小企業ではありましたが、ひどい会社ということではなく、生産管理システムを導入するという明確なタスクを与えられ、それなりに新しい発見もあり、とても仕事が楽しかったのを覚えています。

そんな中で大きな変化があったのは、事業継承問題でした。

「社長の息子が入社してくる。」

という噂というか、決定事項なのでしょうが、その話をその当時の役員、お偉方からどちらかというとネガティブな、「だいぶ組織が変わるだろう。不安だ。」という話を繰り返しされてなんとなく会社のバランスが崩れて行く感覚を味わいました。

事実、バランスは崩れまくりました。

社長の息子はたいした業績もないのにあっという間に部長、常務と昇進し権力を手中におさめて行きましたが、会社の中で信頼や尊敬がない状態なので、会社の方針や目標を達成できません。そしてそれを挽回しようと無理な設備投資や大型受注に手を出してさらに経営は悪化していったイメージです。

特に私がまずいと感じたのは、ある問題が生じたときにお金をかけなければ解決しない、例えば人員を増やすとか設備を更新するとか、そういう進言が一切通らなくなったことです。その時点では社長の息子は、社長となっていたので、社長の孤立が明確になって行きました。

ある人は積極的に取り入る道を選びましたが、その状態はほぼ奴隷のような状況。「こういうことをしないと解決しない」という答えが明確であってもそれが実施出来ないため、ただいたずらに地獄のような仕事を繰り返しているという状況。

その結果、会社は超残業依存型の最悪な職場と化して行きました。もちろん残業代は支払われるのでブラック企業とは言えませんが仕事の質は下がって行き、顧客満足度は悪化する一方であったと思います。

本質的な解決を行う投資が、残業代などに消える日々。これは最悪です。ただ、いつしか従業員側もその状況が悪くないという最悪のループにはまります。それを続けると残業代どころか給料まで無くなる、ということも知らずに。

時間外勤務が、120時間とかそんな状況になると全く人間らしい生活は出来ないですね。良い仕事も出来るわけないです。そんな中、離婚も経験しました。

結果その会社は倒産しましたがその時の私は年齢が40歳でした。バブルもはじけまさに悪夢。

プーズネットはそのような道はたどらないぞということでみんな力を合わせてがんばって下さいね(笑)

ところで新型コロナウイルスの対策推進室の職員が時間外300時間超えってのは想像すらできない(笑)もう住んでる状況じゃないかな